言葉の栞
今年の夏、ある友人が言っていた、"平成最後の夏"―この言葉を聞くと釈然としない気持ちになる、と。僕はその時あまり深くも考えずに答えた。"多分それは言葉の栞なのだろう。普段と同じ夏ではなく、一回きりの夏として覚えておこうとする、刹那的な真理なのかもしれない。"と。今一度改めて考えてみると我ながらシャレたことを言ったと思うが、この夏のことを僕はちゃんと覚えているのだろうか。実のところ、それほど覚えていない気がする。
昨年の夏は、最も暑かった夏だったが、それ以外のことはどうだろう。どこかへ行くこともなく毎日同じことの繰り返しを過ごしていた。甲子園の優勝校がどこかさえ覚えていない。もしかしたら、それが普通なのかもしれない。だからこそわずかばかりの出来事を覚えておきたいのかもしれないと思うのだ。
" 平成最後の夏は何もありませんでした。"そんな空っぽな時間を過ごしたことを再発見できたことが、1番の収穫とは皮肉にも程がある。しかし、夏の足音が聞こえてきた。
"令和最初の夏"はもう少しだ。